東京高等裁判所 昭和38年(う)2383号 判決
被告人 菅原栄之助
〔抄 録〕
所論は、第一点ないし第七点に分説し、あるいは事実の誤認があるといい、あるいは審理不尽、理由そごの違法があるというが、その全体を通じて、要するに、原判決挙示の証拠のうち証人庭前栄蔵の供述は措信し難く、その余の証拠によつては被告人の運転した車が加害車であることを認めることができず、原審が取り調べた一切の証拠を総合すると、むしろ加害車は別にあり、被告人の車はこれに先立つて本件事故現場を通過したことを認めることができるのであるから、原判決は審理を尽さず十分な証拠がないのに被告人を有罪とした違法があるか、証拠の評価を誤り経験則に反して無罪とすべきものを有罪と誤認したかのいずれかであつて、破棄を免れないと主張するに帰するものである。
よつて按ずるに、原判決が被告人の車を加害車と認定した理由として述べていることは多岐に亘つているが、これを精読してみると、結局原審証人庭前栄蔵の同人が目撃した加害車は被告人の車に相違ないという供述が措信できるものであり、これを補強する他の証拠も存在する、当時事故発生場所である第一京浜国道の協和銀行子安支店前を通過した大型トラツクは先に斉藤興一の運転する砂を積んだトラツクと後に被告人の運転する大型トラツク以外にはないのであり、斉藤が事故を起さなかつたことは証拠上明白であるから、被告人の車以外に事故を起した車は考えられないというに帰するものと解せられるのであるが、当裁判所としては、記録を精査し当審における事実の取調の結果を総合勘案すれば、被告人の車を本件の加害車であると断定することには疑をさしはさむべき合理的根拠があるものと考えざるを得ないのである。以下その理由を説明する。
弁護人の控訴趣意によれば、所論は、原審証人庭前栄蔵の供述の信憑性について、庭前が本件事故後間もなく被害者笹川勇の実父笹川栄吉に対し「有利な証言をしてやるから」と申し向けて金員の提供を要求しこれを交付させた事実のあることを挙げ、なおまた庭前は本件事故を目撃した時より以前から覚せい剤常用のため正常な心神の状態にはなかつたものであるとしたうえ、人格的見地からみても庭前の原審供述はこれを信用できないと主張するもののようであるが、庭前が右のような犯罪をあえてする人物であるという意味で人格的に欠点がないとはいえないけれども、原判決が証拠を挙げて説明しているとおり、庭前が前記恐喝の犯意を起したのは本件事故の目撃証人として神奈川警察署で取調を受けた際被害者の実父に会つた後のことで、その前までに事故を目撃したとして直ちに最寄りの警察官派出所に加害車の特徴を通報し、右通報に基ずき間もなく被告人の車が鶴見警察署のパトカーにとらえられるや、その現場に警察官と共に馳せつけ被告人の車を指して加害車に相違ない旨述べているのであるから、右恐喝の一事をもつて直ちに庭前の証言が信用できないとはいえないし、又庭前がその当時覚せい剤常用のため正常な心神の状態になかつたと認めるに足る証拠もない。したがつて証拠上同人の原審における供述は(同人の当審における証言についても同様である。)、それが同人の実際に観察し記憶にあるところのものをそのまま忠実に供述したものでないと断ずることは必ずしもできない。
しかし、本件事故直後庭前が事故を目撃したことを最寄りの西子安警察官派出所に通報した際同所の西川、小沢両警察官が同人より聞いた加害車の特徴や右通報に基ずき直ちに県警察本部から無線電信により流した指令を受信して被告人の車をとらえた鶴見警察署のパトカー乗務員梶本警察官及び鶴見警察署前で検問を実施した同署の大岳、須田両警察官がそれぞれ指令により知つた加害車の特徴は、右関係者の原審ならびに当審の証言を総合すれば、幌をかけた大型トラツクの定期便で、言う人によつてちがうが、色はうす赤い、赤つぽい、黄色のような赤つぽい、あるいはダイダイ色とかミカン色とかで、車体に何か大きな字が書いてあつたというもので、いずれの証言も時日の経過にともなう記憶の減少による多少の不明確さは免れないにしても、結局上述の諸点以上に出なかつたものと認められ、これを庭前の証言と合せて考えると、同人自身が事故目撃当時つかんだ加害車の特徴も前記諸点にとどまるものといわざるを得ず(記録によれば、被告人の車は幌をつけた七トン半積みの大型貨物自動車の定期便で車体は上が黄、下が朱に塗つてあり「大一トラツク」と会社名を大きく記入してあつた)、かつ加害車の車番号も車体の字も同人は見ていないことが明らかである。そして被告人の車以外にもこの程度の特徴をそなえた大型定期便トラツクが一般的に言つて当時本件事故の発生した第一京浜国道上を通過したかも知れない可能性は必ずしも僅少でないこと(当時事故発生場所を通過した大型トラツクは斉藤興一の運転する車と被告人の運転するトラツク以外にはないとの原判決の断定に対する反論については後記説明参照)は、警察官作成の現場実況見分調書、警察官撮影の現場写真、弁護人提出の実在する各種大型定期便トラツクのカラー写真等記録に存する証拠全般から推認することができる。してみると、庭前が目撃によつてつかんだ加害車の特徴は、弁護人がいうように、十分特定されているとはいえないから、庭前が自己の目撃した当時の認識に基ずいて後にパトカーにとらえられた被告人の車を見て真実それが加害車に違いないと思つた(庭前の当審における証言によれば、色とか幌がかけてあることとか大きさ等からそのように思つたと述べている)としても、そこに何らの錯誤もあり得ないとは言いきれない。ましてや、原判決の説明の言葉を借りれば「当時は深夜であり小雨もあつたし照明も十分でなかつた模様である。それに庭前は車が被害者を轢過するのを見てその方に気をとられ……一瞬呆然として道路にとび出したときには既に車は相当の距離を走り去つて……と推定されるのである。何しろとつさの場合のことで目撃者の気持も動顛していたのであろう……」から、同人が嘘の証言をしているとは思えなくとも、他の証拠を十分に検討することなく、右庭前の被告人が犯人に違いない旨の証言をたやすくそのまま採用することはきわめて危険であるといわなければならない。
原判決は、さらに、「被告人運転の車両の左側後部車輪の外側タイヤには血痕存在のルミノール反応があつた」又「被告人の運転した車両の左側後部車輪のタイヤ痕は被害者が当時着用していたワイシヤツに印せられたタイヤ痕に酷似している」とそれぞれ証拠を挙げて説明したうえ、「大略これらの事実と前記庭前の証言を総合すると、本件加害車は被告人の車であつたと推断せざるを得ざるに至るのを何人も疑わないであろう」とする。しかし、右ルミノール反応によつても、本件では人血か獣血かの判定さえできていないことが記録上明らかであるし、又原審証人井筒勝の供述によれば、被告人の車の左後輪のタイヤはダンロツプゴム株式会社のロード・トラツク・メジヤーの一〇〇〇―二〇といわれるタイヤで、このタイヤを装備して東海道を往来する大型貨物自動車としては、被告人の勤務する大一急送株式会社所属のもの以外にも少くとも数会社のものがあること、換言すれば、本件犯行の日時前記タイヤを装備して本件事故現場を東京方面に向けて通過した大型貨物自動車が他にもあり得る可能性が認められるばかりでなく、目撃者庭前は当審において本件加害車は被害者を左車輪で轢いたように思うと言い、それに同人の原審及び当審における証言によりうかがわれる被害者が轢過されたときの車道上の位置、加害者が轢過して行つたときの模様、加害車に先行した砂利積みトラツクの通過、状況、原審検証調書の記載により明らかな現場の車道の幅員、電車の軌道安全地帯の位置等から考えると、本件加害車は被害者を左車輪でなくむしろ右車輪で轢いたのではないかとの疑もあるから、庭前の証言に以上の各事実を加えても、被告人の車が本件の加害車であると断ずるに十分であるとはとうてい言い得ない。
かえつて、他の証拠をも検討してみると、本件の加害車は、斉藤興一の運転する車(砂利トラツク)よりも後に事故現場を通過した車でなければならないのに、被告人の車は右斉藤の車より先に現場を通過した疑がある。すなわち、証人庭前及び同斉藤興一の原審及び当審における各証言を総合すると、斉藤の運転するいわゆる砂利トラツクが本件事故現場にさしかかつた際同人が車道に臥し倒れている本件被害者を認め「馬鹿野郎」とどなりながら、これを避けて通過し去つた事実があり、本件の加害車はその後において間もなく現場を通過した大型貨物自動車であることは疑う余地のない事実であるということができる(庭前の証言によれば、斉藤の車の次に現場にさしかかつたトラツクが加害車ということになるのであるが、斉藤の証言によると、現場で同人の車のすぐうしろに続いたトラツクはエンジンが運転台の下に格納されているいわゆるキヤブオーバー型であつたということである。被告人の車がその型でないことは記録上明らかであるから、もし斉藤の右証言が正しいとすればそれだけ被告人は犯人の嫌疑を免れるわけである。しかし、他方庭前は斉藤の車の次にきたトラツクはいわゆるキヤブオーバー型でなかつたことを当審で証言しているし、斉藤もまた事件発生後間もないころ警察で取調を受けた際には「自分の車のうしろに大型貨物と小型の自動車があつたような気もするのですがよく覚えておりません」と述べている(斉藤の司法巡査に対する昭和三十七年三月六日付供述調書参照)に過ぎないので、たやすく前記斉藤の証言をとつてもつて本件の決め手とはなしがたい。)が、一方斉藤の原審及び当審における各証言に当審証人大岳昇及び同須田新英の各供述、証人梶本和夫の原審及び当審における各供述並びに被告人の原審公判廷における供述を総合すると、本件事故発生後鶴見警察署において宿直勤務にあたつていた大岳昇及び須田新英両巡査が前述の神奈川県警本部からの無電指令を受けてすぐ本件の加害車を発見するため同警察署前の第一京浜国道上の交差点の両端に立つて横浜駅方面から東京方面に向う大型貨物自動車の検問をはじめたところ、やがてその実施後間もなく最初の大型貨物自動車として同所にさしかかつた斉藤の運転する砂利トラツクが進行して来るのを認めたので、停車を命じて質問する等のことがあつたのであるが、右両巡査が検問のため立番をしている間に被告人の車が検問を受けたことはなく同所を通過した車で同巡査らが指令に該当する疑があると認めたものもなかつた事実並びに同じく鶴見警察署勤務の警察官で当日パトカーに乗つて同署管内を警ら中であつた梶本和夫巡査が午前零時四十分ごろ同じく県警本部からの無電指令に接して加害車発見のため直ちに川崎と鶴見との境界付近の第一京浜国道上に出て待機するうち、間もなく鶴見警察署の方から東京方面に向け進行して来た被告人の車を指令に該当する疑があるものと認め停車させた事実を、それぞれ認めることができる。そして大岳、須田両証人が県警本部からの指令を受けてから斉藤の運転する砂利トラツクを検問するまでに要した時間及び梶本巡査が同じく無電指令に接してから被告人の車と出会うまでに要した時間がどのくらいであつたかについては、相当の年月を経た現在においては正確な証言を得ることができなかつたわけであるが、指令の性質からして各受令者者が及ぶかぎり迅速な行動に出たことが推認されるし、各関係者の証言によれば、大岳巡査らの検問実施の場所は所在警察署のすぐ前であり、又梶本巡査が指令に接した場所は第一京浜国道から千三百米ぐらい入つたところで(梶本の原審証言によれば二、三百米という)被告人の車と出会つた地点は鶴見警察署から川崎寄りに千米以内の同国道上であつたというのであるから、前記所要時間はいずれも僅々数分の間にあり、斉藤のトラツクが検問された時刻と梶本巡査のパトカーが被告人らの車と出会つた時刻とはその先後いずれかは別としてきわめて相接着したものであることを推認することができ、かつ被告人の車が鶴見警察署前を通過したのは前記検問実施前で斉藤の車よりも早い時刻であつたと認めざるを得ない。さすれば、被告人の車が鶴見警察署前に達するときより前に途中で斉藤の車を追越した事実がないかぎり本件事故発生現場を被告人の車が通過した当時すでに斉藤の車より先行していたことになり、したがつて被告人の車は本件加害車ではないということになるわけである。ところが、斉藤の証言によれば、同人の記憶は必ずしも判然としているとは言いがたいが、ともかく右途中で他の大型トラツクに追越された覚えはないということであり、他にこのような追越しのあつたことを認めるに足りる証拠もなければ又時間的にみて被告人の車が本件事故発生前に現場を通過するはずがあり得ないという証拠もない(司法巡査小沢寿美雄作成の昭和三十七年三月二日付神奈川警察署長あて交通事故発生報告書によれば本件事故の発生したのが同日午前零時三十五分ごろであることが確認され、原審証人長谷川武及び同野沢春雄の各供述、被告人の原審公判における供述並びに被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書を総合すれば、被告人が当日事故現場より二粁二百米横浜駅寄りにある大一急送株式会社横浜営業所を出発したのが一応午前零時二十八、九分ごろから三十一、二分ごろまでの間であり、現場までの所要時間は被告人のいう時速四十粁で三分余と認められ、したがつて零時三十五分ごろ前に現場を通過することも決して可能性がなかつたわけではない。)。してみると、被告人の車が斉藤の車より先に事故現場を通過したことを直ちに断定はできないとしても少くともこれを疑う余地は十分あるといわなければならない。
原判決は、当時事故現場を通過した大型貨物自動車としては斉藤の車及び被告人の車以外にはなかつたのであり、斉藤の車が加害車でないことは判然としているから、被告人の車以外に事故を起した車は考えられないかのようにいい、又「もし被告人の車が加害車でないとすれば、斉藤の車より後に被告人の車以外に間をおかずに現場を通つた相当重量ある大型貨物自動車ということになるが、そのような車が通つた証拠なり形跡はさらにない」というけれども、庭前の原審及び当審における各証言によつても斉藤の車より以前に現場を通過した車に関する同人の観察が決して十分のものでなかつたことは明らかであるし、又斉藤の車より後に現場を通つた相当重量ある大型貨物自動車が本件加害に及んだことはすでに認められたとおりであるから、右は根拠のない独断というべきである。(被告人の車が加害者でないとすれば、真の加害者は、記録上明らかなように事故現場から鶴見警察署まで行く間途中数個所に存する第二京浜国道等に通ずる道路に折れて走り去つたと認むべきことにならざるを得ないであろう。)
なお、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書によれば、警察官から自車の左後輪外側のタイヤに血痕が付着したり内側のタイヤに毛髪一本が付着していたという説明を受けてはじめて自車が事故を起したことを知つた、当時四月から幼稚園に入る子供の費用のことを考えながら走つていたため人を轢いたことに気が付かなかつた旨の供述記載があるけれども、前に述べたように、後に係員の調査の結果によれば、右血痕は人血か獣血かそのいずれによるものか判明せず又毛髪は被害者のそれと異ることが判明したというのであるから、被告人の右のような供述があるからといつて、その本件容疑を増す理由には少くもならないし、むしろ庭前の原審及び当審における各証言によれば、本件の加害車は「被害者がころがつている地点の十五米ぐらい手前でシユン、シユンとエアー・ブレーキの音をさせたうえ、そのまま被害者の上に乗つていつた、被害者は轢かれながら二、三回ころがり、車はポンポンとバウンドしていつた、そして二十米ぐらい進行してからシユーと速度をゆるめたが、停車しないでそのまま走つていつた」というのであるから、右轢過の状況に関する同人の供述が真実を伝えるものである以上は、本件加害車の運転者は、少くとも右轢殺事故をひき起したことを知りながら逃走したものと認めざるを得ないようにも思われるのであるが、原審証人石田末雄の供述並びに証人梶本和夫の原審及び当審における各供述によれば、被告人は、当日事故発生後間もなく鶴見警察署のパトカーにとらえられてから梶本、石田の各警察官から本件事故をひき起したことの有無について相次いで質問されたが、そのいずれの質問に対しても覚えがないと答え、その態度等について故意に事実を隠しているような気配は全然感ぜられなかつたというのであり、又当裁判所の検証調書その他の証拠によれば、本件事故現場から被告人の車が梶本巡査によつて停車させられた地点に至るまでの間に第一京浜国道から脇に折れて第二京浜国道等に逃げることができる道路が数本あることが認められるのであるが、被告人がこれらの道路に逃げこむことをせず、そのまま第一京浜国道上を東京方面に向けて進行を続けていたことも証拠上明らかな事実であるから、被告人の車が本件の加害車であるかどうかは以上の点からいつても疑問がないではないということができる。
これを要するに、原判示事実は、原判決挙示の証拠のほか原審及び当審において取り調べたその余の一切の証拠をもつてしても合理的に疑を容れない程度にその証明があるとはいえないのであるから、原判決は、証拠の価値判断を誤つた結果判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認をしたものというべきであり、論旨は理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。
(足立 栗本 上野)